HOME > 京の伝統野菜

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京都市北区上賀茂に伝承する特産野菜。賀茂菜とも呼ばれ、もともと社家の一人が京都御所から種子を貰い受け自分の栽培したものが辺りに広まったとも言われ、その起源は400年前ともいわれている。
栽培は、いくつかの作型に分けられるが、現在では8月末から9月中旬に播種し、11月上旬から12月末に収穫するものが多い。
加工は、塩以外の調味料を使わず、漬け方もてんびん押しという独特の方法で行われる。



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享保年間に愛宕郡聖護院(現在の左京区聖護院)の篤農家が、近江国堅田地方(現在の大津市堅田)から持ち帰った種子を栽培したのが始まりと言われ、その後改良されて現在のかぶになったという。
天保年間には、このかぶを原料として薄片の漬物をつくり、京の名産千枚漬の名で一般に知られるようになってからは、一層栽培が盛んになった。
晩生種のかぶで、腰高の球形(直径15から20cm)をしており、1個平均1から1.5kgで、大きいものは5kgにも達するものもあり、わが国のかぶでは最大である。
栽培は、8月下旬から9月上旬に播種し、10月中旬から11月下旬に収穫する作形が多くさいばいされている。
現在では、広く各地で栽培され、千枚漬の原料として出荷されている。



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美山町大内地区に伝承するかぶで、詳しい起源は不明であるが、約500年の栽培歴を有するといわれている。
 欧州系のかぶで乾燥や寒さ等にも強く、根部は表面がゴツゴツして形も悪いが、一般のかぶに比べて糖度が高く甘味があり硬く煮くずれしないのが特徴である。
 栽培は8月下旬に播種し、12月中旬から3月上旬まで収穫できる。
 主に煮食用として利用され、中でも味噌で味つけした”お講汁”は、古くから地元で愛用されてきた。現在でもわずかに栽培されている。



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江戸時代中期に、現在の中京区神泉苑町の篤農家が天王寺かぶから早生種を目標として、選抜淘汰した結果できたかぶと伝えられる。
 早生小かぶに属し、葉は、狭長で光沢のある壬生菜のような型をしており、根部はやや扁円形となる。
 播種後40~50日たって根部が親指大になったときに収穫する。
 江戸時代には、役人らの専用料理として愛用されていたが、現在は需用者も激減して市内の特殊な農家のみが高級料亭の委託栽培を続けている程度である。



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原名を天神かぶといい、起源、来歴などについては全く不明であるが、古来より舞鶴市及びその近郊に栽培された。
 やや祖野な感じの晩生の越年かぶで、耐病性、耐寒性とも比較的強く、風の強い裏日本の風土に適する。
 かつては、2~3月の野菜の端境期に盛んに出荷されたが、だんだん減産し、現在では農家による栽培はなく、種子保存されているのみである。



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舞鶴市四所喜多の原産とされるが、詳しいことは、不明である。
 舞鶴市の荒川種苗店が、喜多で栽培されていた「喜多かぶ」を昭和20年代に市場対応上から「舞鶴かぶ」に名称変更したものである。
 直径15cmほどの大きさの扁円の中かぶで、地上に出た部分は赤紫色を呈し、茎葉も赤紫色を帯びる。根部は太りが悪く、少し変形で肉質はやや硬く、漬物にはむかないが、煮炊き用に優れている。
 栽培は、9月上旬に播種し、10月中旬に収穫するが、現在ではわずかに栽培されているにすぎない。



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京都市北区上賀茂、西賀茂地区を特産地としてきたが、起源は、江戸時代に紀州から京都御所に献上されたものが、やがて水に恵まれた上賀茂を産地として広まったとされている。
果実は正円形で肉質はよくしまり光沢のある紫色をした大果であり、へたは3角形となるのが特色である。5月から8月にかけて主に収穫される。
主に煮食用に重視され、輪切りにして「でんがく」にすると美味しい。



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古くから山科特産として栽培され、起源は不明であるが、「もぎなす」を改良して大型化し今日に至ったものであるといわれる。
卵型種中なすに分類され、果形は卵型で皮が薄く肉質も柔らかいが、収穫後短時間で変色し傷つきやすい。
栽培は、1月中旬から下旬に播種し、4月下旬から5月上旬に定植、6月から9月にかけて収穫する。
用途は、果皮が薄く歯切れがよいので煮物、しぎ焼き、漬け物に適しており、京都の郷土料理「なすとにしんの煮き合わせ」は、このなすを使ってとろりと煮上げる。
往時は京都を代表するなすとして栽培も多かったが、現在ではわずかに栽培されているにすぎない。



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愛宕郡聖護院村(現在の左京区聖護院)に於いて栽培が始められたと伝えられ、その起源は、慶応から明治初年(1865から1868)のころ、この地域が苗物産地として発達したことから、在来種より偶然選出されたといわれる。
肉質のしまった1果20g内外の小粒の茄子で、耐病性は強く、又、味はほろにがみのあるのが特徴。
現在での栽培は、12月下旬に温床に播種し、3月上旬にビニールハウスに定植、5月から7月に収穫する。
てんぷらや煮物の材料に適しており、又、からし漬やもろみ漬にも利用される。
現在では、市内の一部の農家に於いてわずかに栽培されているにすぎない。



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1800年代にみず菜の一変種が自然交雑ででき、壬生地区に多く栽培されたことから、壬生菜と呼ばれるようになったといわれている。
葉は細長く卵円ヘラ状で欠刻がないので、丸葉みず菜ともいわれる。
栽培は、みず菜同様8月下旬~9月中旬には種し、10月~翌3月頃まで収穫する。
現在では各地に普及し、広く栽培されているが、京都においては、歯切れのよさと芥子の香りによって、京漬物の千枚漬の添え物としてなくてはならないものとなっている。



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みず菜の記録が始めて現れるのは、天和3年(1683年)の「常憲院殿実記」であるが、それ以前から京都を中心に各地において栽培されていたもの考えられる。
葉は刻みの深い切れ葉を有し強健で分けつ力に富み1株数十本、葉数600枚位を出し、4kgを越えるものもある。
栽培は品種等により異なるが、普通8月下旬から9月中旬に播種し、10月から翌春3月頃まで収穫する。
現在では、広く各地で栽培、利用されているが、肉の臭みを消す働きがあることから、京都ではくじらと炊きあわせた「はりはり鍋」有名。



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江戸時代の学者貝原益軒の「菜譜」という書物に記載があることから、江戸時代からあったものと思われる。
在来のなたねの一種で、主に油を採るために栽培されたものであるが、食用にもなることから、春先の野菜の少ない時期を中心に柔らかい葉を煮物などに利用してきた。また、明治時代からは、花を摘み取って花漬としても利用してきた。
栽培は、水稲収穫後の10月中旬に播種し、3月下旬から5月上旬に収穫する。
現在栽培されているが、数系統ある。



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承応3年(1654)宇治黄檗山万福寺に明国の僧隠元が孟宗竹の母竹をたずさえて来日し、これが西山一帯のふもとに定着し、たけのこが食用に供されるようになったといわれる。
栽培は、自然に伸びる地下茎を利用するが、12月から1月にかけて畑一面に稲藁を敷き詰め、その上に3cmから5cmの客土をを行い3月から5月にかけて収穫する。また元肥追肥も数回に分けて施す。
京都のたけのこは、地面の下にある間に堀取るので中身が柔らかく味がよい。
現在では、京都市、長岡京市などを中心に栽培され、京都市場を中心に出荷されている。



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起源は明らかでないが、伊吹山大根(滋賀県坂田郡上野村)を京都の桃山の一部(現在の伏見区深草大亀谷)に移して栽培したものといわれ、一名大亀谷大根とも呼ばれた。
 根の直径6から8cm、長さ30cm内外で肉質が非常にしまっているのが特徴である。
 栽培は、8月下旬から9月中旬に播種し、11月中旬から1月下旬に収穫する。
 このだいこんは、沢庵漬物用に供せられ、桶から出して時間がたっても色、香りが変わらず、翌年の土用を越しても味が変化しない利点があるが、食生活の変化に伴い、需要は激減し、現在では、種子保存用の栽培のみとなっている。



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京都市北区鷹ケ峰の原産で、1700年頃から栽培されていたといわれる。
根部、茎部とも小かぶに酷似しているが全くの大根で、根部は強い辛味を有する。
栽培は、8月下旬から9月上旬に播種し、11月上旬から12月中旬に収穫する。
品質は緻密で水分が極めて少ない為、そばの薬味として、つゆを薄めることなく濁らせず辛味をつける最高のものとして用いられる
現在では、わずかに栽培され、市内の料亭などで使用されている。



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文政の初年度(1810から1820)紀伊郡東九条村(現在の南区東九条)の小山藤七という人が、当時極晩生種であっただいこんの種子を得て、「藤七大根」という名で種子を販売したのが源であるといわれている。
当時の大根は堀入(吸込系)で地上部に根部が露出する事なく、葉は著しく濃緑色で欠刻を有し、現在の時無だいこんに比べると、極めて晩生種であったと思われる。
葉は淡青緑色、深い切れこみがある直立性で、中肋(葉の背骨に当たる部分)の細かいのが特徴で、根部は先端が細まった尖円筒形をしており、太さ6から8cm、長さ45cm前後である。
現在では、改良されて「花不知早太り時無大根」として広く各地に普及し、端境期大根として栽培されている。



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文化・文政の頃(1804から1829)に、葛野郡朱雀村(現在の下京区朱雀)に於いて、今は、絶滅した郡大根の変異種として作出されたと伝えられる。
 根部が1から2屈曲する中生系の大根で、地上露出部は緑色を呈する。
 栽培は、8月下旬から9月上旬に播種し、11月から1月末まで順次収穫する。
 古来より主として祝儀用に使用され、吸物の具や青味の部分をきゅうりの代用とするなど珍重され、明治以来大典その他天皇行幸に際して郡大根とともに献上されたりもしたが、現在ではその需要も少なく、市内の数戸の農家が栽培を続けているだけとなっている。



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本種は、京都市下京区中堂寺あたりで古くから栽培されていた在来種と想像されるが、その起源は不明である。
 秋大根の一種で、茎葉は繊細であるが、しまった尻詰まりで根長30cm内外、直径6cm程度となり、地上部に抜きでる特性がある。
 栽培は、9月中旬から下旬に播種し、12月上旬から中旬に収穫する。
 この大根は、茎も葉も共に漬け込み、漬物としてその風味がよい。
 聖護院大根が育成されるまでは、洛東、洛北一帯に広く栽培されていたが、現在では、左京区松ケ崎、北区鷹ケ峰地区にわずかに栽培されているにすぎない。



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起源は明らかでないが、すでに嘉氷(1848から1854)の後期か安政(1854から1860)の初期には存在したようで、当時は、四月大根または真壁大根と呼ばれていた。
 極晩生種の春だいこんの一種で、葉は地表に近接して横繁性を示し、根部は紡錘形で首の色が淡緑と白の2系統がある。
 栽培は、9月中から下旬に播種し、2月から5月に収穫するが、1本400g前後に育ち、肉質も良い。
 一時は舞鶴市を中心に50haほど栽培され、京阪市場に出荷されていたが、現在では、西大浦でわずかに栽培されているにすぎない。



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文政年間(1818から1830)に、愛宕郡聖護院(現在の左京区聖護院)に住む篤農家が、尾張の国から黒谷の金戒光明寺に奉納された長大根をもらい受け、採種を続けているうちに丸形の固形した品種が育成されたのが始まりであるといわれている。
 秋大根に属する球形の大根で、通常8月から9月に播種し、年内に2kg位のものを収穫する。なお、地表に現れる部分は淡緑色を呈する。
 甘くて苦味が少ないので、主に煮物用に利用され、現在では各地方に普及し、広く栽培されている。



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江戸時代に発刊された「毛吹草」(1638)や「擁州府志」(1684)に、山城の稲荷付近で作られていたとの記録があることから、かなり古くから伏見付近を中心に栽培されてきたものと思われる。
果実は多少細長く、10cm程度の長さを有し、辛みがない。
栽培は、1月下旬から2月中旬に播種し、3月下旬から5月上旬に定植、5月下旬から10月下旬まで収穫する。
用途は、焼きとうやいため煮、天ぷらなどに用いられるが、葉もたべられ(きごしょ)佃煮にする。
現在では、改良種等この系統のものが広く各地で栽培されている。



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大正末期から昭和に舞鶴市万願寺で誕生したと伝えられ、舞鶴中筋農協管内の農家により栽培され、舞鶴地方のみに流通していた。
 血統は明らかでないが、形状、肉質などから伏見群とカルフオルニア・ワンダー系の交配と推定される。
 果実は長さ15cm、重さ15g程度で、果実は、ピーマン並に分厚くて柔らかく、甘みがあり、種子も少なく、独特の風味があるため、煮ても焼いても美味しい。
 露地栽培では、2月中旬に播種し、5月上旬に定植、6~9月に収穫する。
 現在では、舞鶴市を中心に栽培されている。



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栽培の起源は不明であるが、明治初期には愛宕郡田中村(現在の左京区田中)で作られていた記録がある。
 一名「ししとう」「中獅子」と呼ばれ、ふと短く、他のとうがらしより濃い緑色をしており、種が少なく、辛味がないのが特徴である。
 栽培は12月末に播種し、4月にトンネルに定植、6月上旬~10月下旬まで収穫する。
 ピーマンと同様の食べ方をし、一般家庭では煮食、または焼いて食用に供しているが、料亭での需要も多い。
 現在では、山科区において、このとうがらしの系統と思われるものが栽培されている。



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昭和18年、北区鷹ケ峰の島本啓一氏が、知人から譲り受けた品質の良いというとうがらしを栽培、選抜し、固定種を育成したものである。
果実は12cmほどの長さで、肉質が厚く光沢があり甘味があるが、収量性は低く、晩生である。
栽培は、2月上・中旬に播種し、5月上旬に定植、6月から9月に収穫する。
肉質がやわらかく上品な風味があり、焼いても、いためても天ぷらにしても味がよい。
現在では、京都市北区を中心に栽培され、振売りや地元の野市などに出荷されている。



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文化年間(1804から1818)に山城国粟田村(現在の京都市東山区粟田口)の一農夫が、奥州津軽からかぼちゃの種子をもらい、これを愛宕郡鹿ケ谷村(現在の左京区鹿ケ谷)の農家に分け与え、栽培したのが始まりであるとされる。
 最初は普通の菊座形のものであったが、栽培するうちにひょうたん形となり鹿ケ谷中心に栽培が普及した。
 赤系晩生種のかぼちゃで1果重2から3kg程度となり、味は淡泊である。
 栽培は3月上旬に播種し、4月上旬から5月上旬に定植、7月上旬から8月中旬に収穫する。
 現在では、京都市、綾部市でわずかに栽培され、食用及び装飾用として出荷されている。



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葛野郡桂字中桂(現在の西京区桂)の原産であり、その来歴は桂離宮の建立(江戸時代初期)より古く、この地方で栽培されていた大越うりの中から品質の優れた極大型のものを選抜したもであるといわれている。
 果実は大きくて肉が厚く、頭から先まで一様な太さで長さ50から90cm程度となり、重さは4kg程度となるのが普通である。
 栽培は、4月上旬に播種し、同下旬に定植、7月上旬から8月中旬に収穫する。
 肉質が緻密で弾力性があり、歯切れが良いため、古くから「奈良漬」の原料として利用されてきたが、現在では殆ど栽培されていない。



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愛宕郡上賀茂村柊野(現在の北区上賀茂柊野)原産の特有のささげで、別名三尺ささげとも称される。起源は不明であるが、約300年前頃から栽培されたといわれている。
他のささげに比べて夾が長く(80から90cm)に達する。葉は濃緑色で葉面に毛茸(細い毛)がなく葉形はやや長味を帯び、夾は、丸い。
 栽培は、3月下旬から4月上旬に播種し、7月上旬から9月中旬まで収穫する。栽培土は表土が深く、特に日光がよく当たり、7月から8月にあまり干害を受けない土壌が最適である。
 未熟なものには、一種の風味があって野菜用として喜ばれ、熟期が進んでも夾の硬化が遅く煮物、浸し物などに用いられる。
 現在では、市内でわずかに栽培されているにすぎない。



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豊臣家の滅亡とともに、聚楽第の堀は、付近の住民の捨てるごみで埋められ、ここへ農民が越年ごぼうを作り、巨大なごぼうを収穫したのが起源であると伝えられる。
 形状は、長さ60cm太さ6~9cm程度、重さ1kgぐらいのものが標準である。
 栽培は、2月下旬に播種し、6月に堀り上げ、東南に向けて15度に寝かせて浅く定植し、11月上旬~12月下旬に収穫する。
 大型の穴あきごぼうであることから、空洞を利用して肉などを詰めて煮込み、薄く輪切りにして盛りつけるとおいしい。また、きんぴらや炊き込みごはんにも向いている。
 現在では、一部の農家によって栽培され、市内の料亭で使用されている。